特濃 オヤジの素

♪飲ませてください もぉ少しィ~♪
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『真珠郎』の次は・・・

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『仮面舞踏会』かぁ。んじゃ、行ってみよう!


放映
1978年6月3日から6月24日までの全4回

出演(古谷一行以外)
草笛光子
木村功
柳生博
三ッ木清隆
乙羽信子


監督
長野卓

音楽
真鍋理一郎


あらすじ

軽井沢で避暑をとっていた金田一耕助は財界の大物『飛鳥忠熈』から調査を依頼される。忠熈は近々、映画女優の『鳳千代子』と結婚をすることになっていた。千代子は既に4度結婚・離婚をしていたが、そのうち二人の前夫が変死をしていた。金田一が依頼されたのはその件に関する調査であった。
しかし、金田一の必死の捜査にもかかわらず、次々と被害者が・・・
事件の背後には鳳千代子と千代子の一人娘『美沙』の出生に絡む秘密が絡んでいるようであった。

私情インプレッション

この『仮面舞踏会』。横溝正史のエッセイ(?)、『真説 金田一耕助』の中に以下のくだりがある。

昭和37年のことだから(中略)私は当時まだ存在していた探偵小説専門雑誌『宝石』に『仮面舞踏会』なる長編を連載していた。
その年はあたかも私の還暦に当たっており、先輩友人知己相集うて、盛大にお祝いをやってもらったが、その席でいまは亡き江戸川乱歩が演壇に立ち、

「横溝君はえらいものである。この年で長編を書こうとしている。」

と、大いに賞揚してくれたまではよかったが、八回か九回書いたきりで中絶してしまったのははなはだ醜態であった。(中略)
この小説は一昨年単行本として刊行されたが、その続稿を書いているあいだじゅう、私は楽しくて仕方がなかった。(後略)




なるへそ。
横溝正史の小説と言えば、おどろおどろしい、気色の悪い、陰気で重くるしい、血の汚れた系の作品を皆さんはイメージするかもしれない。が、この小説は不思議とそういう重さがあまりない。
それは、ひとつには、作品の舞台が避暑地の軽井沢という開放的な場所であること。また時代設定が昭和35年という、横溝作品の中では比較的新しいものであること。また、登場人物が芸能人、作曲家、画家、財閥のドンと言った華やかな世界の人間であることも関係しているのかもかもしれない。
従って、この作品に関する『私情インプレッション』を総括すると

「比較的サラッと見られます。」

といったところか。もっとも、小説の方は読むにはかなりの根気と時間が必要だね。なにしろ大作だから。
 ただ、テレビの方は最後の方で無理矢理『お涙頂戴』的な展開に持っていこうとする意図がミエミエで、そこがちょっと減点かなぁ。あとはまぁ、可もなく不可もないって感じね。
 しいて、この作品について特別印象的なことをあげるとすれば・・・・・それは、美沙役『村地弘美』の異常に細い眉毛と、これまた異常に長いワンピースの襟。そんなところか。
それなりの大作ではあるんだけど、長いだけであまりパンチの効いた仕上がりになっていない!って感じなんだよね。
関係者の皆様

すいません。

というわけで、次回は『不死蝶』である。『不死鳥』ではないんで、念のため。
今回はなんかちょっとやっつけ仕事になっちまったような気がする。次回はもうちょっと気の効いた文章にしますんで。
よろしく哀愁でいと。

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何気なくネットサーフィンをしていて、こんな画像を手に入れた。

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こんなのや
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こんなのもあった。
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懐かC~!

 しかし、今のガキども・・・いや失礼。今時のお子様達が乗っているシンプルでこ洒落たチャリに比べたら、我々が子供の頃乗っていたチビッコ用のチャリってものスゲー無駄に重装備。
 このテのチャリに半ズボンに野球帽。車輪のスポークには軟式のボールを挟んで・・・今は絶滅してしまった正しい昭和のバカ小学生の姿。
 しかしまぁ、改めて考えてみると、なんとも無意味な装備のオンパレードだね。そもそも、子供が乗るチャリに高性能なディスクブレーキが果たして必要であったのか・・・ウインカーは、リトラクタブルライトは・・・。
 この年になって冷静に考えてみると、つくづく『要らねぇ』ものをメーカーにのせられて買わされていたワケね、親子ともども。(-_-#)で、またそれが結構いいお値段なんだよ。「そりゃ、親は簡単には買ってくれないよ。」って今になって思うね。
 ちなみに、我輩が乗ってたのはナショナルの自転車でライトにフォグランプ機能があるヤツ。(^-^;)確か5万くらいしたんじゃないかと思う。残念ながら、写真が残ってないし、ネットで探してもそれらしいものはなかったね。

 でもさ、あの頃は大人も子供も、チャリンコに限らず、車でも、オーディオでも、コレを買ったらなんかスゲー楽しくなるんじゃないかとか、夢があったよなぁ。未来はもっともっと明るくて楽しくなるハズだ、みたいなね。なにしろ我々の世代って高度経済成長の申し子みたいなもんだからさ。
今は、老いも若きもなんかみんな冷めてるもん。無駄なものは要らない、コレで充分って。

 閑話休題。結局、我輩の場合、買った自転車を高校を卒業するまで乗ってたし、その後はオヤジの近場へ移動の足として余生を送ったワケで、10年近く使ったことを考えると 夢を買ったという意味も含めて、そんなに高い買い物じゃなかったのかもしれない。などと仕事の合間にふと思ったとさ。

最後に・・・
そういえばこんなのもあったなぁ~って思い出したんで、直接的には関係はないのだけれど、“オマケ”ってことでこんな画像を付けておこうと思う。↓
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次、いきまぁ~すぅ。『真珠郎』でぇ~すぅ。

放映
1978年5月13日から5月27日までの全3回

出演(古谷一行以外)
原田大二郎
中山仁
大谷直子
加藤嘉
岡田英次




監督
大洲齋

音楽
真鍋理一郎


あらすじ

 城北大学の講師『椎名肇』は同僚の『乙骨三四郎』に誘われ、信州浅間山麓に休暇で出掛けた。
宿泊先は元生物学者『鵜藤』氏の屋敷。鵜藤氏は今は半身不随で、同居している美しい姪『由美』に世話をしてもらっていた。
 そんなある晩、椎名と乙骨は鵜藤氏の屋敷で絶世の美少年『真珠郎』を目撃する。真珠郎は鵜藤氏がかつての恨みを晴らすために密かに養育をした殺人マシーンであった。
 そして浅間の山が噴火したその日。真珠郎は遂に野に放たれた。皮肉にも、その第一の被害者は鵜藤氏自身だったのである。そして真珠郎はその美しい顔立ちからは想像も出来ない残酷な方法で次々と殺人を重ねていくのである・・・


私情インプレッション

 え~っと、まず予め言っておくとだねぇ、この『真珠郎』。原作では金田一耕助は登場しまへん。すなわち、横溝正史のもうひとり名探偵、『由利燐太郎』ものなのである。
 それと余談なんだけど、原作では舞台は戦前、ドラマでは昭和23年となっている。どうでもいいことかもしれないけど。
 細かなことをもう一丁。原田大二郎扮する『椎名肇』は原作では『椎名耕助』となっている。横溝氏はこの、『椎名』という苗字、並びに『耕~』という名前が好きらしく、氏のその他の作品でもよく使われている。本作で椎名『耕助』→『肇』になったのは金田一耕助とタブるからであろう。


 意外に思う人がいるやもしれぬが、我輩、この『真珠郎』は案外好きな作品なのである。原作もドラマの方も。横溝正史が戦前書いた作品の中で一番の傑作だと思う。いろんな意味で映像化が難しい作品だとは思う。しかし、その点、このドラマは原作の持つ妖しさ、なまめかしさ、おどろおどろしさを上手に表現していると思う。『横溝正史シリーズⅡ』全9話の中でも『●×△□』の次によいデキだと思う。
 音楽はこの後の作品との共用なんだけど、この作品にうまくマッチした使い方をしていると思う。特にタイトルバックの重~~いストリングス系のサウンド(チェロか?)&オカリナ(?)の気持ち悪~いハーモニーが秀逸。

 『真珠郎』は、かつてテレ朝系列の2時間ものとして放映されたことがあった。金田一耕助は『小野寺昭』。椎名の役を金田一にやらせてしまおうという2時間スペシャルものならではの省エネ設計。う~ん、悪くはないんだけど、かといって良いわけでもないんだよなぁ。そもそも金田一役が小野寺昭っていうのはねぇ・・・

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なにしろ『殿下』だからさ。でも、音楽はいいよ。ストリングスを使った胃袋が重~~くなるようなメロディはかなりいい。でもまぁ、こちらはソフト化されてないし、たまにスカパーで再放送されるくらいだから、カタギの方には全然縁のない話ではあるわけだ。


 そう言ってはなんだけど、横溝正史シリーズはパート1の方で、だいたい氏の代表作はやりつくした感がある。
で、以降、パートⅡではそれ以外の佳作的な作品をやらざるを得なかった。それと、これは想像なんだけど、予算とかそっちの方でも相当制約があったんじゃないかと。BUT!この『真珠郎』は、なかなかのデキだとは思う。見て損は・・・

う~んどうでしょう。

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ってこんな“サゲ”はお嫌いかしら、皆の衆。

というわけで次回をお楽しみに。




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「たたりじゃあ~!」


我々の世代の人間なら誰だってこのセリフを覚えていることと思う。

1977年、TBS系列で放映され、あまりに大好評だった『横溝正史シリーズ』
一年後、『横溝正史シリーズⅡ』が始まった。全9話30回の放映である。その一発目が『八つ墓村』

放映
1978年4月8日から5月6日までの全5回

出演(古谷一行以外)
荻島真一
松尾嘉代
鰐淵晴子
内田朝雄
中村敦夫
常田富士男



監督
池広一夫

音楽
真鍋理一郎


あらすじ

 昭和24年。神戸に住む寺田辰也は天涯孤独な身の上であった。しかし、ある日、自分のことを探している者がいることをラジオで知る。
 窓口となった弁護士の事務所で辰也は自分が岡山県の『八つ墓村』の生まれで、本当はその村の資産家『多治見』家の人間だと教えられる。多治見家は跡継ぎの必要から辰也を探していたのだ。
しかし、辰也を迎えにきた実の祖父『丑松』が辰也と面会中、弁護士の事務所で変死する。死因は毒殺であった。
 辰也は多治見家の親戚筋にあたる『美也子』の案内で八つ墓村に向かうが、村人達の辰也を見る目は敵意と警戒に満ちていた。
やがて、辰也の周りで次々と連続殺人事件が起こる。
そしてそんな中で、辰也は自分の出生の秘密を知る。
辰也の父親は26年前発狂し、村人32人を惨殺し行方不明になっていたのである。
 たまたま(苦笑)村に居合わせた金田一耕助は、相棒の日和警部を引っ張り出して(大苦笑)捜査を始めるが辰也は警察からも村人からも疑いの目を向けられ、のっぴきならない立場に追い込まれていく。
 金田一の推理で事件は解決をするが、その後辰也は・・・



ん・・・我輩、この作品をどう表現していいのかわからないんだよね。ん・・・原作にはそこそこ忠実なんだけど、犯人がねぇ・・・
ネタバレになってしまうんでもどかしいなぁ。それと、原作に出ている出演者を省いているが故に、(それ自体はよくある話ではあるが)最後の方が原作とはちょっと(?)違ってるんだよねぇ。

 『横溝正史シリーズⅡ』全体を見れば、それほど悪いデキじゃあないんだけどなぁ。なんかピンと来ないんだよなぁ。なんでだろう。

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 前にも書いたんだけど、パート2全体に、なんか『手抜き感』みたいなものが感じられるのね、パート1に比べて。なんでだろう?

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 シリーズを通して見ればわかるんだけど、この作品以降、音楽だって使い回しになってるしね。
この作品にしても原作という“素材”はいいんだけど、それをうまく表現しきれていないっていうのかな。

コストダウン
の影響かしらん。

とまぁ、あんまりネガティブなことばかり書いてもしょうがないんで、ちょっと違った視点から解説をしようかなっと。
映画の方は二度映像化されてるんだけど、最初の方は金田一耕助を“渥美清”そう、あの“寅さん”が演じている。なにせ松竹の作品なんで。ちなみにオイチャンもちょっと出てたりなんかして、思わずニタ(*^.^*)ってしちゃいます。ちなみに、テレビ版の舞台は戦後だけど、映画の方は現代(1970年代)。
そうそう、映画の方での二代目“八つ墓金田一”はトヨエツなんだけど、これは見ないほうがいいと思う。

↓これね。
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で、テレビと映画(渥美版)を比べた場合、個人的には映画の方が断然いいね。ただ、当時はオカルトブームの最中で、この作品の最後の方はそういうご趣向になっているのがちょいといただけないし、今見るとかなりイタい。でも、音楽もいいし、「原作とはちょっと違うんだけど・・・」という前提で結構楽しめる。
然るにテレビ版の方なのだが・・・なんでこの作品をパート1の方でやらなかったんだろう。諸事情はあったものとは思うんだけど、もっと気合いの入りまくったいい作品になったであろうに。
同じ古谷金田一ならこっちの方がまだいいかなと思わなくもない。↓

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二時間ものの方。まぁ、カタギの方には極めてどうでもいい話かもね。

最後に、戦前一人の男が住んでいた村の人間を次々と殺したっていう事件は実際にあった話でね。横溝氏はその事件をモチーフに八つ墓村を書き上げたってわけ。詳しく知りたいそんな変態のあなた。以下のURLをlクリックしたまえ。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tuyama.htm

さて、そんなこんなで次回に続くのである。






本当にコレで最後だぁ~~!

なんか出来の悪い邦画のコピーみたい。
夏休み、貧乏旅行をした時に撮った写真が余ってたんで、在庫一掃処分セールであります。

その1
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関ヶ原の交番。この絵だとわかりにくいかもしれないけど、なんかそれっぽくてなかなか雰囲気があるのだよ。角度を変えて何枚も写真を撮っていた我輩。怪しいヤツだと思われたかも。


その2
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東寺のそばの銭湯。まだ現役みたい。佇まいが実によい。風呂上りに股間をタオルで

“パン・パァ~ン”

とやって、その後はコヒー牛乳を飲む。片手を腰に・・・
そんな光景が目に浮かぶ。粋だね。


その3
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東寺のそばで発見。ご当地仕様のカーネルおじさん。涼しげで粋なイデタチではある。が、いくら涼しげだとは言ってもやっぱり京都の夏は

クソ暑い!

以上。

これでおとぼけ夏旅行の総括は終了である。さて、明日から何をやろうかなぁ~。まぁ、あんまり期待しないで次回も見ていただければ無上の喜びである。なにぶんよしなに。





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『おごんち』さんという方にコメントをいただいた。曰く

『臥龍梅の話題楽しみにしてます。』

でも、よく考えてみたら、このところ『おとぼけ旅行』だの『横溝正史シリーズ』だのといった、身内とマニア以外には極めてどうでもいい、愚にもつかない妥文ばかりを書きなぐっていたことに気が付いた。
プロフィールに『日本酒業界に身をおくものとして、いろいろと有益な情報を提供できれば・・・云々。』っていうようなことを書いておきながら、酒ネタとしては7月29日の『梅酒漬けました!!!』を最後に全然書き込みをしていなかった。これじゃあ羊頭狗肉だ!言われても仕方がない。
などと、朝、通勤途中の車の中で考えていた。

「会社に行ったら何かネタを探さなきゃ。」

事務所に入ってタイムカードを押して、なにげなくカウンターの上を見たらこんなチラシが置いてあったのだ。ネタを探すまでもなかった。

「コイツはいい。」

3秒で問題は解決した。

以前、10月1日に静岡県地酒まつりっていうのがある↓って告知をしたんだけど、

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それとは全然別のものなんスよ。
要するに、清水税務署管内にある、うちを含めた4つの蔵元が協力をして日本酒の会をやろうってお話ね。今回で11回目...かな?
例年、SBSのアナウンサーの方に協力をいただいてで会の進行をやってるんだけど、今年はなんと、“クンちゃん”こと國本アナのバンド演奏付き。
入場料は5000円と決して安くはないんだけど、損はさせません。日本酒好きの方、ちょっと日本酒に興味を持ち始めた方・・・要するにカミングアウト系なあなた。ご来場をお待ちしております。今ならまだチケットはありますんで。

それではみなさん、当日会場でお会いしましょう。




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というわけで、まだやってたのか!の『おとぼけ夏旅行』どす。いい子だからもうちょっと付き合ってねん。

燃えカスのような状態で彦根からJRに乗って、でまぁ、いろいろとあって結局

『そうだ!京都に行こう!』

と思い至ったのであります。いや、実は最初はその手前の『大津』に泊まろうと思って電車を降りたりもしたんだけど、なんかさ、

駅前がとても寂しくて・・・

(T_T)

 滋賀県の方、大津の方ごめんなさい。京都へは快速に乗れば2駅くらい(たしか)である。どうせ青春18キップなんだからっていうんで再び電車に乗ってアッという間に京都着。そのまま京都泊。

翌日13日、夕方、浜松で正月タイにも一緒に行った小野●さんと飲むことにはなってたんだけど、せっかく京都に来たんだからっていうんで、その前にちょっとだけ観光。
行き先は京都駅に近いってことで東寺、正確には教王護国寺。真言密教の寺で、わかりやすくいうと空海(弘法大師)の寺。“弘法も筆の誤り”の弘法大師さん。

長嶋監督Gクン。
わかるかなぁ~?わっかんないだろうなぁ~、Yeah~!

まっ、詳しくは以下のURLをクリックしたまえ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AF%BA

今まで京都にはたぶん10回以上は来てるんだけど、恥ずかしながら東寺は初めて。しかし、やっぱりたいしたもんだわ東寺。

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凄すぎるぜ、東寺!金堂、講堂、五重塔、大日如来、薬師如来・・・。なんかこういうところへ来ると、とてつもなく心が洗われたような、透き通った気持ちになって、とりあえず仏様に

バカでゴメンね。

と手を合わせしまうのである。

ホントはもっといろいろ見たかったんだけど、暑さがねぇ・・・我輩、まだまだ修行が足らんようじゃて。
さて、昼頃京都を出て、在来線で浜松へ。夕方、小野●氏と合流。

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二軒ほど飲み屋をハシゴして解散。早めに終わったんでそのまま気合いで清水へ向かう。
『やしま2』で一杯やって『むじゃ木』で撃沈。お約束の“下宿”こと『オーシャン』で爆睡(-.-)Zzz。いったい日本列島をまたにかけて、何をやってんだか、オレ。
というわけで、こんなアホな過ごし方で、我輩の短い、しかし貴重な夏休みはほぼ終了してしまったのである。南無・・・・



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このブログをご覧いただいている御仁の中には“今日から職場へ復帰!”なんて実に羨ましい方がおられるやもしれぬ。
とはいえ、休み明けの仕事っていうのは実にしんどいもの。
某所で拾った画像を貼り付けておくので、今日一日の疲れを癒していただきたい。
まだまだ暑い日が続きそうだけれど、無理せず適当に頑張りましょう、ご同輩。





 今日、思いたって新型『フィアット・グランテ・プント』を見に行ってきたのだ。我輩、今のところプントに買い替えるつもりはまるでないのだからして、単なる“冷やかし”に過ぎないんだけど、いろいろと細かな(どうでもよい)ことをチェックしてきたので、今回はそれを我輩なりの視点で、すなわち、“私情インプレッション”と洒落こんで書き込みをしてみたいと存ずる。
ただし、試乗はしていないのであくまでも見て触ってといった部分に限定した話なんで、その点、予めご承知置き願いたい。

まず外見はこんな感じ。

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旧型よりだいぶデカくなった!と聞いていたんだけど、過日、街中で見かけた時には、そうは思わなかった。

「なんだ、あんまりデカくないじゃん。」

って。
でも、今日改めて見たら、やっぱり相当デカくなってた。特に斜め後ろから見るとかなりのボリューム感があるね。OH!モーレツ!

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 で、ドアを開けて中に入るとこんな感じ。

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インパネはシンプルで大変結構。バブルの頃の国産車は、とにかくなんでもかんでもいろいろスイッチをくっつけた車が偉い!みたいな風潮があったんだけど、最近は輸入車の影響(に違いない)でシンプルで明るい内装の車が増えたように思う。いい傾向だと思いまぁ~すぅ。

おっと、ここで妙なものを発見。

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シフトノブの前にカップホルダーがあるんだけど、そこに蓋付きのカップが差し込んである。

何スかぁ、コレ。

触ってみるとホルダーからパコって外れた。なんとそれは灰皿であった。「ナルホド!」とポンと手を打つ我輩。そういえば、昔、松●順クンが乗ってた『パンダ』も助手席のグローボックス(?)のあたりを左右に動く移動式の灰皿があった。移動式の灰皿はフィアット社の伝統なのであろうか。
しかし、このカップホルダー、最近はジュースにしても何にしても太い缶が主流でしょ。入んないよ、コレじゃあ。ペットボトルも然り。コーヒーなんかの小さいヤツじゃなきゃムリだなこりゃ。
そのことをセールスマンに指摘すると、

「えぇ、入らないです。」

「向こうの車はもともとカップホルダーのないのが普通ですから。」


だって。アッケラカンとしたそのラテン気質、気に入ったゼ、ベイベー。
後はっと・・・
そうそうエンジンルームっと。

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なんか今どきの車にしてはスカスカでんなぁ。
ここでちょっと補足。プントは今のところスポーツモデル(2ドア)のみ2種類が発売されている。10月には5枚ドアが追加される予定なんだけど、基本的にエンジン自体は同じものみたいね。細かいことを言うと2ドアが16バルブで、5ドアが8バルブらしいんだけどさ。それと車のサイズも2ドアと5ドアは同じとのこと。

で、エンジンフードを閉めた時に気が付いたんだけど、ワイパーの長さ、大きさが左右で違うんだね。この写真でわかるかしら。

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ちなみにワイパーブレードは金属の棒にゴムがついた通常のものとは違い、ゴムの棒をそのままにワイパーに直接付けるような感じ。従って、オートバックスなんかにあるような汎用品じゃダメってことね。まぁ、ワイパーブレードなんてそうそう変えるもんじゃないからいいんだけどね。とまぁ、そんなトコかな。

総括をしよう。見た目はかなりいいです。さすがに巨匠ジウジアローがデザインしただけあるね。たぶん、10年以上経ってもこの車のデザインは古くならないと思う。完成度はかなり高いです。
それと、後席にも座ったんだけど、広さも充分。実用車として申し分なし。あとは信頼性とディーラーのサービスがどうか、ってとこかな。
秋になって5ドアが出たら改めて見に行こうと思う。

BUT!

我輩、トウィンゴの使い勝手のよさにメロメロなんで、当分買い替えはいたしません。と、断言しておこう。

残念!(中途半端に古いぜ。)
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そういえば、最近トゥインゴについて全然書き込みをしてなかった。
大方の予想を裏切り、トゥインゴは夏バテもせず大変元気であります。
唯一の懸念、エアコンもサンクのことを考えれば信じられないくらいよく効きます。あくまでもサンクに比べればって話だけど。
写真は清水の某所で撮影。この場所については後日またお話をしようかと思うちょります。それまでは

ヒ・ミ・ツ

です。って、そういうこと言ってるから“いろいろ”と誤解を招くんだよね、反省。






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 そういってはなんだけど、前回かなり詳しく(?)彦根城の成り立ちについて説明をしたんで、なんかもう今さら書くことなんて無くなってしまったような気もする。よって後はやっつけ仕事にしちゃおうかしらん、なんて思わなくもない。

 12日の昼。関ヶ原の暑さにすっかりやられて、真っ白な灰になりかけた我輩は、それでも勢いだけでなんとかビター・スゥイートな街・彦根の駅に降りたのである。

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観光案内所で地図をもらって一路彦根城へ向かう。駅からの一本道だから迷いようがない。10~15分くらいで到着。
料金を払って敷地内に入るが、いきなり坂。しかもかなりキツイ。忘れていた、彦根城って平山城だった・・・と萎える気持ちに喝!!!を入れ、道なりに登っていくと

出たぁ~!

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天秤櫓

時代劇やなんかで、この絵をどこかで見た御仁もおるやもしれぬ。そのくらい有名な櫓である。元々は豊臣秀吉の居城長浜城の大手門を移築したものらしい。で、橋を渡ってしばらく行くと

出たぁ~、天守閣!

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一説によると天守閣は京極氏の大津城天守を解体・移転したらしいが、現存する天守閣がそれかどうかは

知らないです。

すいません、資料不足につき不明であります。
なんにしても彦根城の天守閣は日本に現存する(江戸時代から)12の天守閣のうちのひとつなのである。
え~っと、我輩いくつ制覇したかのぅ。松本城、姫路城、備中松山城、そしてこの彦根城で4つめかぁ。なんだ案外行ってないのねん。気が付いてハッとしてGood!次はどこに行こうかなぁ。犬山城あたりにしようかな。


おっと、閑話休題。
ちなみに他にも彦根城には佐和山城から移転した多聞櫓なんかもあったりするんだけど、なにも移転をするっていうのは廃物利用だとか、エコロジーだとかを意識してのことではないのね。
旧領主の建物を解体・移築することによって、徳川による新しい統治を周辺にアピールする目的があったらしい。

やるね、家康!

Good Job(o^-’)b

それはともかく、早速天守閣の中に入る。さすがに以前、姫路城を見ているだけに特別な感動というものはない。しいて感想を言うとすると

階段が急である。

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写真を付けるので見て欲しい。上から見るとほとんど直角である。この三層の天守閣、 とてもミニスカートでは登れない。ミニスカートと滑りやすい靴下は厳禁である。
それから、今思い出したんだけど、彦根城の天守閣は映画『戦国自衛隊(古い方ね)』でもロケ地になっていた・・・かもしれない。いい加減で、

メンゴ・メンゴm(__)m

明治維新以降の天災・人災・戦災によって、多くの城や天守閣が破壊された。だから、彦根城に限らず、今、当時の建物が残っているなんてこと自体、相当な『奇跡』なのである。彦根城の場合、明治天皇が保存を要望したってことが効いたみたいね。姫路城みたいな圧倒的な迫力はないけれど、質実剛健で、城下の町並みとの調和も美しい。
そうそう、彦根は城下街らしく、昔ながらの町並みがいたるところに残っていて凄くいい雰囲気だったね。

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あまりに暑くて、体力的にも限界だったからのんびりと見学とはいかなかったけど、また今度近くに行ったらゆっくりと街中を散策してみたいね。やっぱり夏に山登りは辛いワ。というわけで暑さで完全に叩きのめされた我輩は

「どこに泊まろうかなぁ~」

と、とりあえず大阪方面行きのJRに乗ったのである。
毎度のことだけど、成り行きと思いつきだけのホントいい加減な旅行だこと。
というわけで次回に続くのである。

まだやるのか!







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そんで、彦根に向かったっつうわけね。
その前に・・・この前の書き込みで、この辺りは戦国時代、軍事的に非常に重要な場所であったと書いた。今一度、この辺りの地図を付けるのでそちらをご覧いただきたい。

http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F16%2F16.619&lon=136%2F15%2F44.996&layer=1&ac=25202&mode=map&size=s&sc=7

で、そのことを踏まえ、彦根城について詳しく説明をしなきゃって思うんだけど、それについては専門家が書いた適当な文章があるんでそいつをちょいと引用というか、無断で拝借。


彦根は、中山道が美濃から琵琶湖にぶつかる所、そこはまた北国道が日本海方向に別れる地でもあった。近江国の大半を占める日本最大の湖・琵琶湖は東北に位置する彦根・長浜から水路で京の背後の大津まで新鮮な物資を提供する湖沼であり、最大の関門であった。
室町幕府を支えた佐々木六角氏の観音寺城、戦国大名浅井氏三代の小谷城、羽柴秀吉の居城長浜城、豊臣政権を支えた石田三成の居城佐和山城、戦国乱世を統一し、天下に号令する織田信長の本拠安土城、安土城にかわり、中山道・北国道の要になった近江八幡城などが、次々とこの地に築造された。
慶長五年(1600)世にいう関ヶ原合戦は“不破関”である米原から伊吹山南麓で展開した。この関ヶ原合戦で勝利を得た家康は、関ヶ原と湖北・湖東の押さえとして井伊直政に佐和山城を与えて、関東への出口を守備させようとした。
しかし佐和山城は、あまりにも山城で、水陸交通の押さえにならない。そこで、佐和山前方の琵琶湖を埋め立て、磯山までを陸つづきとして、磯山周辺には三重の水路(港)を兼ねた外濠を埋め残した。
(後略)


あ~疲れた(´Д`)

とまぁ、そんなワケっス。ちょっと補足をしようかな。徳川家康は天下普請の第一号として堅固な彦根城を作り、そこに『徳川四天王』の一人、重臣の『井伊直政』を置いた。江戸時代末期、桜田門外の変で暗殺された幕府の大老『井伊直弼』のご先祖様である。井伊氏は元々は遠江の豪族で今川家に属していたのだが・・・って、その話は長くなるのでワープ。
要するに、江戸幕府が西国からの攻撃を受けた場合の防波堤として彦根城を作ったのさ。また逆に言えば、西国の武将に対して喉元に突き付けたドスのような存在でもあったわけだ。
しかしまぁ、この彦根城の成り立ちを考えた時、徳川家康という武人の用意周到さというか、思慮の深さには感服せざるを得ない。

一方、『豊臣秀吉』はというと・・・もちろんとんでもなく凄い人には間違いないんだけど、天下統一を成し遂げた時点で、何かもうそれで満足してしまい、その後、システムとしてどのように日本を治めてゆくのか、この点についてあまり明確なビジョンがなかったんじゃないかと思う。優秀なブレーンや跡継ぎに恵まれなかったってこともあるのかもしれないが・・・結果的にそのことが、死後、関ヶ原の合戦を引き起こし、引いては豊家の崩壊に繋がっていく。
家康はNo.2として身近なところから秀吉の行いを見ているから、彼を反面教師として徳川の天下を磐石なものにすべく、死ぬまでの間に次々といろんなテをうっているワケっスよ。彦根城の築城もそんな彼の深謀遠慮のひとつなのである。

やっぱり長~~~い書き込みになってしまったんだけど、この続きは次回ということにさせていただきとうございます。

以上、彦根城ちょっとイイ(井伊)話でした。

お後がよろしいようで・・・





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 前回、関ヶ原から彦根に向かったって書いた。で、彦根でのことを書こうかと思ったんだけど、結構な長文になりそうなんで(毎度のことか?)、ちょっとインターバルってな感じで番外編っぽく、『旅先で見かけたVOW的なもの その1』と称してして書き込みをしようと思う。

その1
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 彦根の市内で見かけた本屋の看板。彦根は城下町らしい風情があちこちに残っている魅力的な街であった。そこをあてもなくプラプラ歩いていたときに発見。
 子どもの頃、静岡の山間部などに行くと農家の納屋なんかに、錆びかかった『ボンカレー』や『アース』の看板がよく貼ってあったもんだけど、それと同じ匂いがする。たぶんオークションにでも出せば高く売れるんじゃないかな。買ってどうするか・・・そんなことは聞いちゃいけない。そりゃ野暮ってもんだ。

その2
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関ヶ原の資料館にあった絵。言うまでもなく手前が石田三成、向こうが徳川家康。何という画伯が書いた『抽象画』かは不明。しかし、もうちょっと違った絵にしようとは思わなかったのであろうか。はっきり言って怖いです。
ちなみに、二人の目線のあたりに白く点々と移っているのは蛍光灯の光。心霊写真じゃないんで、念のため。

その3
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関ヶ原の駅のすぐそば。JRの線路を跨ぐ陸橋にこんなプレートがついていた。漢字で書くと『関ヶ原古戦橋』か?

駄洒落かよ!

誰がネーミングしたのであろうか。誰か猛烈に反対するヤツはいなかったのだろうか。今時、円楽だってこんなセコイ洒落じゃ笑わない。

すいません、言い過ぎました。

まだこのテの写真が少し残ってるんだけど、それはまたいずれということで、んじゃあ皆さん、チャオ!




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 というわけで、まずは関ヶ原のお話。関ヶ原の合戦については知らない人はいないとは思うんだけど、一応軽くオサライをしとくか・・・と2秒ほど考えたんだけど、あまりにメンドいんで、詳しくは以下のHPを見てくらはい。
http://www.ginet.or.jp/sekigahara/rekishi/reki1.htm
わかったかな?それでは本題ってことで。

12日の朝、名古屋から米原方面行きのJRに乗る。40分ほどで関ヶ原駅に到着。

「さて、どうしたものかのぅ・・・」

 まるで台湾の舗道を歩いているかのようなボロボロの駅の階段を登りながら考える。
と、駅を出るとそんなことを考えていたのがまったく無意味であることに気が付くのである。無料の案内所が駅の真ん前にデ~ンとありやがんの。もの凄くわかりやすいたたずまいで。

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ここで方言丸出しな愛想のいいおばちゃん(ボランティアらしい)に地図をもらって、しばし説明を受ける。
最初は、歩いて回れるんじゃないかと思ってたんだけど、話を聞くとちょっとそれは無理っぽい。
で、案内所のすぐ裏のレンタサイクルでイタリアンレッドに燦然と輝く二昔くらい前の素敵なママチャリを借りる。4時間500円也。だけど、自転車に乗ったのなんて何年ぶりだろう。

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♪サイクリング・サイクリング・ヤッホー・ヤッホー♪

てな感じで地図を見ながら適当~に走っていると、

ん?

あの景色は何かで見たことがあるゾ!

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「出たぁ~!!!」

♪d(⌒〇⌒)b♪

あっ、あれは、西軍の大将石田三成が陣をひいた笹尾山ぢゃないか。

 明治時代、日本に招かれた外国(何処の国かは失念)の軍人が、関ヶ原の東西両軍の配置を図面で見て、即座に西軍(石田三成軍)の勝ちと言ったそうな。確かにこの地に立つとその理由がよくわかる。
西軍の配置は東から攻めてくる東軍に対して『鶴翼の陣』で取り囲むような形になっている。
おまけに東軍の後方にある南宮山には西軍の毛利の大軍が、徳川本隊を後方から襲うことが出来る位置に布陣している。詳しくは↓こちらを参照のこと。

http://www.ginet.or.jp/sekigahara/rekishi/reki1_1.htm

 更に言うと、これは現地に行くと痛感することなんだけど、東軍は西軍に向かって、坂を昇るように攻めなければならない。真上から見た平面図ではわからないんだけど、結構この登りはキツイ。
そして、西軍は上からそれを見下ろすような格好なのである。

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だから陣形だけを見れば、西軍が圧倒的に有利ということは●●さんが見てもわかる・・・かな?しかし、史実は皆さんご存知の通り。
 結局は西軍側に傍観組が思いの外多く、おまけに松尾山にいた小早川秀秋の寝返りをきっかけに、西軍のハズだった連中が逆に西軍の主力のどてっぱらを突く形となり、西軍は敗走する。

 しかし、まぁ、こんな山あいの狭い盆地に東西合わせ約20万もの軍勢が集まって、後の歴史の流れを決める大戦(おおいくさ)をやってたんだから、もうそれを考えただけでも身震いしちゃうね。以前から本を読んだりして関ヶ原の合戦に対する知識はある程度あったから、「あそこに●×△の軍が陣をひいていて、そこで□◆★とやりあってたんだなぁ・・・」とか考えていると、

「ウン、なんか凄くよくわかるゾ!」

って、もの凄く感動する。
でも、こういうのって、歴史マニアではないカタギの方達にはわかりずらい話なのかもしれない。だけど、心配ご無用!
歴史民族資料館ってぇのがあって模型とかで詳しく説明してくれる。

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場所は『徳川家康最後陣跡』のすぐそば。

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でも、最低限、どのようにして関ヶ原の合戦が起きたのか、それによって日本のその後はどうなっていったのか、それくらいは大人だったら軽く

『サラッとけ!』

って話だね。旅行は受け身じゃいけません。予習復習は大事です。
でもさ、この日、チャリで走っていたら、工事現場にでっかいデジタル温度計があって、それによると、『只今の温度』

34.6℃

どうりで。でも、まだ午前中なんだよね・・・

(T_T)

そんなこんなで二時間あまり。暑さでヘトヘトになりながらも、大きな満足感を得た我輩は電車に乗って次の目的地『彦根』に向かったのである。




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 そんなわけで、今年も青春18キップを使って、真夏の佐●汁(汗)特盛!!!な貧乏旅行に行って来たのだ。行き先は岐阜(関ヶ原)、及び滋賀(彦根)。
 皆の衆、今度、機会があったら滋賀県の地図を見てみるがよい。曲がったピーマンみたいな琵琶湖が真ん中にあって、その東側の湖畔、解りやすくいうと、ピーマンの右側、その真ん中あたりに『彦根城』がある。そこを中心にして、右横、すなわち東へ20kmほど目を転ずると、岐阜の端っこに『関ヶ原』がある。そう、あの関ヶ原ね。で、彦根城の右上、距離にして数kmのところに石田三成の居城『佐和山』。で、彦根を琵琶湖沿いに北上すると『長浜』、その長浜の中心街の北方に『姉川』が流れ、ということはその少し上には越前朝倉氏の本拠地『小谷』さらにそこから10kmもないところに『賎ケ岳』。あ~気が遠くなりそうだ。
 一方、視点を元に戻し、彦根城から琵琶湖沿いに南へ20kmほど下ると『安土城』、そのすぐそばに『観音寺城』。ってな具合に、歴史オタクの琴線にグッとくる史跡がてんこ盛りである。
そう、この辺りには戦国時代、後の日本の行く末を決めた重要な史跡がた~くさんあるのである。

 3年前だったかな、やっぱり夏に旅行をしていて、在来線でこの辺りを通過した折り、あまりに知ってる歴史的な地名がそこかしこにゴロゴロ転がってるんで、思わず座り小便をしてしまいそうなくらいたまげた。というのはあまり見え透いた●●チックなウソ。
 でもね、今までテレビで時代ものの番組なんかを見る度に、『だいたいあの辺りね。』とか漠然とした認識はあったんだけど、実際、地図で確認すると、それらが驚くほど近い場所に密集していることを痛感するのだよ。当時(戦国時代)、この辺りは歴史の表舞台だったというか、特に東から進軍する織田・豊臣・徳川の系の武将達にとって、この辺りは戦術的に大変重要な場所であったことがよくわかる。だから、いつかこの辺りをゆっくりと見てみたいとずっと思っていたので、今夏の休暇を利用して思い切って行くことにしたのである。

 さて、散々長い前バリじゃなかった、前フリをしといて言うのもなんなんだけど、この回の書き込みはここで終わりにしたいと思う。この続きは次回みっちりやらせてもらうよ。なにせ、そのへんの話を始めたら長くなるから。というわけで今日は準備運動みたいな書き込みなのだよ。ハハハハハ・・・じゃあね。



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昼休みに会社のパソコンからの書込みであります。実は我輩、今日の夜から関西方面に旅行に行ってきます。帰ってくるのは14日の予定。
ブログやHPの掲示板に書込みをして下さった方もいらっしゃいますが、お返事は帰ってからということで。それでは行ってきま~~~すぅ。



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例のタイトル戦以降、亀田バッシングが凄いね。 今まで散々彼らを持ち上げてたマスコミが一夜にして手の平を返したように、猛烈な批判を あちこちで展開している。実は我輩、そのことに凄い憤りを感じるんだよ。


断っておくけど、我輩は亀田ファミリーのファンなんかじゃない。というより、あんなチンピラみたいな連中は大嫌いである。叩かれるのは自業自得だとも思う。
あの父親は自分の夢とやらのために子供達をボクシング以外は何も知らない・出来ない、『ボクシング馬鹿』にしようとしている。

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だけど、ボクシング選手として生活する時期より、ごく普通の市民として生きていく期間の方が圧倒的に長いんだから、その上での必要な知識とか礼儀とか常識を教えないと結局子供自身が苦労するんじゃないかなと。
今にこのファミリーって身内でもめそうな気がする。若貴んとこみたいに。で、そのうち、兄弟の誰かが傷害事件や詐欺事件を起こしたりしそう。いや、別に根拠はないけど、世間様の常識とかを知らないで育つっていうのはそういうことなんじゃないかな。
あんまり若いうちから周りから騒がれたり、チヤホヤされた人間ってのはたいていろくな人生を送ってないもんね。まぁ、我輩の知ったこっちゃないけど。


、それにしてもだね、今回のマスコミの亀田バッシングには非常に嫌~なものを感じるのよ。
だってさ、文句があるんなら、タイトル戦が終わってからじゃなくて、それ以前にキチっと言うべきなんじゃないの。

「おまえらイカレてる」

って。全てが終わったあとに結果だけを見て、「そらみたことか。ザマぁみろ」とアレコレ言うのは後だしジャンケンそのもので、それこそ『八百長』だと思う。

そもそも、文句タレてるアンタはその年頃にいったい何をやってたの?ってね。「天下取ったる!」くらいの勢いで脇目も振らずなんかに取り組んでいたのかい?なにかしら人を喜ばせたり、世間様の役に立つようなことをやってたのかい?たぶん、親の金でチンタラと遊んで時間を無為に過ごしてただけじゃないの?
実力不足だとかなんとか言ったって、タイトルマッチをやるようになる為には、影で相当な努力をしなければいけないんでね。そこまでなりたくたってなれない連中だって多いわけでしょ。
そういう人達の苦労も知らない頭デッカチな連中が、マスコミにいるというだけで、自分達が何か凄い人種だと勘違いしているように思われてならない。

今回のマスコミの連中の対応を見てると、戦前戦中、『大日本帝国万歳!鬼蓄米英!』とか言ってたくせして、敗戦後はアッサリと『軍国主義反対・反戦平和』なんて節操なく態度を変えた奴らの先輩達と体質は何にも変わってないなぁって感じるね。日和見で無節操で、たいした思想信条もないくせに、変にプライドばかりが高くてさ。

 我輩から見れば、亀田ファミリーも、それを叩くマスコミも所詮同じ穴のムジナというより、目クソ鼻クソって話だと思われてならないのだよ。







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 そんなわけで、5・6日と東京へ遊びに行ったわけなんスけど、最近、我輩は帝都への行き帰りの足として高速バスを使うことが多い。今回も当然そうだったんだけど、行きのバスに乗ろうとした時のことである。
 5日、午前8時47分、F駅発のJRバスに乗るべく、2週間くらい前にファミマのファミポートでチケットを購入した。このバスは全席完全予約制なのである。
 で、当日。10分くらい前に停留所に到着。バスが来るのを待つ。が、出発予定時間になってもバスは来ない。5分経過。まだ来ない。まぁ、でもこのくらいはヘッチャラである。10分経過、まだ来ない。さすがに心配になってチケットと時計を見比べてみる。合ってるよなぁ。15分経過。やっとのことで“フニャ~”とJRのバスが到着。まぁ、このくらいのことで怒り出す我輩ではない。チケットを取り出しバスに乗り込もうとする。すると・・・我輩と我輩の前にいたサラリーマン風の男性が

「ちょっとすいませんが、外で待ってもらえませんか?」

とバスの運転手に外に追い出されてしまった。

ん?(゜_゜)

 運転手が携帯で多分予約の担当部署なのであろう、何か話をしている。

「そうなんですよ、さっきと同じなんです。そこはもう別の人が座ってるんですよ。チケットも確かにあるし(後略)」

何ですと!(-_-#)


「すいません、お客様。チケットはいつ買いましたか?」

「2週間くらい前なんスけど・・・」

 私の前にいた例の男性が教えてくれた話によると、予約がキャンセルなった場合、あとから別の予約が入るでしょ。そんな時にあとからの予約がタブってしまうようなことが『ちょくちょく』あるみたい、とのこと。いわゆるひとつのタブル・ブッキングってヤツ

「欧米かよ。(-_-メ)」

「このバスにはリコンファームが必要なのか?」

「日本なのか、ココは?」


しばらく、携帯で話をしていた運転手。

「とりあえず、この先のF・インターチェンジまで空いてる●×△の席に座っていて下さい。そこから先は誰も乗らないんで、そこでその席に座る人が乗らなければ、そのまま乗っていて結構です。もし、乗って来たら申し訳ないんですが、そこで後から来る一般の高速バスに乗り替えて下さい。このバスのチケット代は払い戻しますから。」

当たり前だっつーの。

 要するに、座席の予約がグチャグチャになってるんで、行ってみなけりゃ、わからないってことなのね。バスの到着が遅れたのも、前の停留所で同じようなトラブルがあってモタモタしてたからみたい。

 何にしても、今回、一緒に東京で遊ぶ野●さんとは11時チョイ過ぎに東京駅で待ち合わせってことになってるから、待たせるワケにはいかないんで、とにかく何があっても東京へは行かないとっていうんで、とりあえずバスに乗るには乗ったんだけど、F・インターチェンジまで気が気ではなかった。
結局、F・インターチェンでは乗る人がいなかったんで、例の男性と苦笑いをしながら、そのまま東京へ向かったのである。

この場合、いったい誰に文句を言ったらいいのかね。JRバスか、それともJTBなのか?富士急は関係ないよね。たぶんJTBでいいと思う。そこでJTBに物申す!

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「何やってんだJTB!」

「●●さん並のチョンボだぜ。」

「あまりにお粗末だぜ、JTB。」

あっ、でも、JRバスの運転手にも言いたいことはあるゾ。確かに今回のゴタゴタはアンタの責任じゃないかもしれない。ただ、バスが東京駅に到着するとき、

「首都高の渋滞で遅れましてすいません。」

みたいなことを言ってたけど、遅れたのはその理由だけじゃねぇだろうに。今回のゴタゴタで間違いなく出発が20分以上は遅くなってるハズだぜ。
アンタが悪いんじゃないにしても、そのことに対して一言お詫びの言葉を言うべきなんじゃないの?会社を代表してさ。それが正しい日本人ってもんじゃないのかね。永六輔が説教始めちゃうぜ、まったく。
まっ、たぶん不測の事態に対するお詫びの言葉がマニュアルになかったんで、ってことなんだろうけどさ、

少しはアドリブ効かせろよ、ボケ。

 あ~、すっきりした。しかし、まぁ、これだけネットが発達したご時世で、一流企業と言われている会社のオンラインのサービスが、これほどお粗末だとは思わなんだ。あんまり機械的に難しいことはよく分からないし、もしかしたらいくら機械をいじったところで同様のトラブルっていうのは今後も起こりうることなのかもしれない。でもさ、仮にそうだとしたら、

せめて補助席くらい付けておけ!


担当部署にはこの点、改善と猛省を強く求めるものである。




 5・6日とまたまた東京へ行ってきたぞよ。今回の旅の目的はコレ。

『圓朝まつり』

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 といってもカタギの方にはなんのこっちゃかぜ~んぜんわからないと思うんでちょっと解説。って言うか、公式ガイドブックからそのまんま文章を拝借。

江戸落語中興の祖と呼ばれている三遊亭圓朝の命日8月11日に、墓所のある谷中・全生庵で毎年行われていた『圓朝忌』。法事の色合いの強かった『圓朝忌』を『圓朝まつり』としてリニューアルし、芸人とお客様の触れ合いに重きを置いたファン感謝デー的としてのイベントにいたしました。2002年から今年で5回目、どうぞ芸人と共にお祭り騒ぎを楽しんでください。


とまぁ、そういうこと。三遊亭圓朝について詳しく知りたいと思った変わり者のアナタ!そうアナタのことです。こんなサイトをみつけたんで下のURLをポチっと押してみなされ。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person989.html
さて、そんなわけで今回、我輩の落語の師匠『野●のアニさん』と5日浅草に前泊をして、6日に全生庵まで行って来たよ。
で、いきなりだけど、結論。

スーパー暑かった・・・

暑すぎるよ。とてもじゃないけど、前日、浅草でハードリカー(電気ブラン等)を飲みまくって、持病の二日酔いが再発した中年が耐えられる暑さじゃなかった。1時間ちょっといて我々は退散。でもね、面白かったよ。

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↓桂“ぺヤング”文楽師匠
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「この人高座で見たぞ。」って言う噺家さんがすぐそこで屋台の売り子やってたり、他では売ってない!というより、他では買う人はまずいないであろうグッズもいっぱい売ってたしね。川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)師匠の携帯ストラップとかさ。そうそう、我輩はこんなTシャツを買ってしまった。

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買ったはいいけど、どういうシュチュエーションで着たらいいものやら。

まっ、そのあと、喫茶店でクールダウンしてから上野の鈴本演芸場へ。たまたまその日の高座は我輩的にはあたりだったみたいで。

ぺぺ桜井
春風亭勢朝
川柳川柳
それと林家こぶ平・・・じゃなかった、正蔵


酒と演芸のノン気な完全成り行き旅行。暑かったけど楽しかった。野●さんお疲れ様でした。
その後、東京駅で晩飯を食べてから解散になって高速バスで帰宅。

そうだ!高速バスと言えば一言物申したいことがあったのだ。

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でもまっ、それは次回ということで。



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 お~し、横溝正史シリーズのパート1も残すとこ、あと『悪魔の手毬唄』を残すのみだぜぇい。これが終わったらこのシリーズはちょっとお休みにしようっと。夏休みってことで。ほんじゃあレッツラゴ~といってみませう。

放送
1977年8月27日から10月1日の全6回

出演(古谷一行以外)
高岡健二
佐藤友美
鈴木瑞穂
池波志乃
東野英心(Mr.中学生日記)



そして・・・忘れちゃいけない

故・夏目雅子


監督
森一生

音楽
真鍋理一郎

あらすじ

 岡山県警日和警部の紹介で金田一は岡山県の山奥にある鬼首村(おにこべむら)の温泉宿、『亀の湯』で休暇を過ごしていた。
この宿の主人は20年前の殺人事件で亡くなっており、現在はその妻リカが亀の湯を切り盛りをしている。その殺人事件は犯人の詐欺師『恩田幾三』が逃亡したまま行方が掴めず、迷宮入りになっていた。

 月日は流れ、20年後。恩田が村の娘に生ませた『大空ゆかり』こと別所千恵子が人気歌手となって鬼首村に帰省をする。村はお祭りのような騒ぎになるが、そんな中、金田一が村で知り合った『多々良放庵』が自宅に吐血の跡を残して失踪。実はその前日に、放庵のかつての妻、『おりん』が放庵との復縁の為に鬼首村に姿を現わしていた。
しかし、おりんは前年、既に病死していたのだ。いったい誰が何の目的でおりんに化けているのであろうか。

映画版より
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その後、村の若い娘達が次々と奇妙な方法で殺されていく。そして事件の背後には常におりんとおぼしき老女の存在がちらついていた。

金田一の捜査によって村に古くから伝わっている手毬唄にその謎が隠されていることがわかる。警察は失踪した放庵がおりんに化けて犯行を行なっていると睨み捜査をする。
やがて金田一の推理によって20年前の事件と一挙に解決をみるのであるが、それはあまりにも悲しい結末であった。

 ちょっと小耳にはさんだ話によると、この『悪魔の手毬唄』。全6回の放送なんだけど、最初は5回で終わるハズが、あまりにシリーズが好評だったので、急遽6回に延長をしたみたいね。原作を読んでからこのDVDを見ると、なんか後半が妙に間のびした印象があるのはその為であろうか。
しかし、それはあえて問題点を挙げればっていう話で、それ以外は原作にも忠実で大変丁寧な作りである。音楽も派手さはないけど佳作揃いで、不気味な映像をジワ~っと気持ち悪~く盛り上げている。
それにしても・・・である。そんな細かいことはどうでもよいのだ。やっぱり


夏目雅子

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このドラマは大空ゆかり役で出演している夏目雅子の存在感に尽きるってもんスよ。弾けるばかりの若さと美しさを画面の中で全開バリバリで見せつけている。。スターってこういう人のことを言うんだろうね。つくづく惜しい人を亡くしたものだ。合掌・・・

 子供の頃、おりん(と思われる)の影が土蔵に映し出された、あの映像。怖くて怖くて、トイレに行けなかったもんだ。
この話は、もちろん金田一耕助の推理話なんだけど、ホラーっぽいところもちょっとあって、今この時期に見るにはピッタリの作品じゃないかと思ったりするのである。


 一応、これで横溝正史シリーズのパート1は全部紹介を完了したであります。んがしかし、想像以上にしんどい作業でありました。
パート2の方は・・・気が向いたらやります。まぁ、あんまり期待しないでねん。えっ、最初から期待してないって?この野郎、チャランボしちゃうぞ。





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すっかり忘れていたんだけど、今日『男たちの大和』のDVDが発売らしいね。このブログをご覧の皆さんにひとこと


買え!

でなけりゃ、せめて借りろ!

以上

我輩は・・・お小遣いのやり繰り上、買うのは今月の給料もらってからかな・・・って、全然ダメじゃんオレ。
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ハイ。じゃあ、横溝正史シリーズ、ラッキーセブンの5番目(-_-;)、『獄門島』ね。
でもさ、どうでもいいんだけど、みんなはこの『横溝正史シリーズ』の連載をどう思ってるのかね。ひょっとして迷惑?
否!このブログは我輩の毒抜きの為にのみ存在しているのだからして

これでいいのだ!
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である。

放送
1977年7月30日~8月20日までの全4回

出演(古谷一行以外)
中村翫右衛門
河原崎長一郎
金子信雄
浜木綿子
仲谷昇
角野卓造
三善英史(#+_+)



監督
斉藤光正

音楽
中村八大


あらすじ

戦後、南方の戦線から帰国の途にあった金田一は、復員船の中で、戦友『鬼頭千万太』の最後をみとった。
そして、「自分が生還しないと三人の妹達が殺される・・・。俺の代わりに獄門島へ行ってくれ。」という恐ろしい言葉を託された。
戦友との約束を守り、金田一は帰国後、千万太の故郷、獄門島へ向う。

しかし、金田一の努力も虚しく、三人の娘達は次々と殺されてしまう。それも、とても奇妙な方法で・・・
一人は梅の木に逆さ吊りにされ、一人は寺の吊り鐘の中に押し込まれ、最後の一人も死体には萩の花がばら撒かれていた。
封建的で、排他的、そんな異常な島で起きた事件を解くカギは、意外にも、金田一が宿泊していた千光寺の部屋で使っている、枕屏風にある三つの俳句の中にあったのである

この作品は、横溝正史が戦後、本陣殺人事件の次に発表した(由利先生の蝶々殺人事件を除く)金田一もので、いわゆる日本版『マザー・グース殺人事件』である。
当時、海外ではアガサクリスティーやエラリークイーンなどが童謡の歌詞の通りに殺人事件が起こる『マザー・グース殺人事件』を書いているが、横溝正史はそれを俳句という純和風な道具で表現をすることに成功している。
それにしても、この映像・・・あまりに素晴らしい仕上がりである。原作がいいのはもちろんだけど、それを忠実に、しかも実に丁寧に表現している。
中村八大の音楽も非のうちどころがない。和楽器を効果的に使い、時に憂いを秘めて、時にコミカルに、芸術的な映像を影からガシっと支えている。
出演の方々の演技も実に渋い。そう言ってはなんだけど、突出した存在感のある俳優さんはいない。けれども、一人一人が実に味のある上手な演技でこのドラマを最高のデキに仕上げている。
このドラマに比べたら、今どき民放で放送している、へタレを使ったチンケな三文恋愛ドラマなんて、はっきり言ってクソだね。ゴメン、『クソ』だなんて下品だったね。訂正!『糞尿』である。全てが安直に過ぎる。ウソだと思ったらビデオにでも撮って、10年後にジックリ見てみな、あまりにジョボくて、しょっぱくて、腹抱えて笑っちゃうから。

この話も石坂映画版が存在するが、テレビ版の方が映画のクオリティを完全に越えている。はっきり言おう。

この『獄門島』は横溝正史シリーズの最高傑作である。


この原作を横溝正史の最高傑作と評するマニアも多い。
ある専門家によると「日本のミステリーの最高傑作、世界ベスト10を選らんでも上位にランクされる。」とベタ褒めである。
確かに素晴らしい原作だと思う。ただ、個人的にはこのあと放送された『悪魔の手毬唄』の方が好きだったりするのだよ、フフフフフ。
そういえば、『悪魔の手毬唄』も、ある意味、マザー・グース殺人事件なんだよなぁ、って話がうまく次回に繋がったところで、今日はこのあたりで終わりにさせていただきとうございます。んじゃネ、バイナラ!


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 ハイ次、『悪魔が来たりて笛を吹く』の解説どすえ。かつて、テレビCMで

「この小説だけは映画にしたくなかった。」

っていう、横溝氏の言葉をコピーに使っていたアレね。(映画版の話)
原作の中でもこの話について以下のように書いてある。
(前略)
ほんとうをいうと、私はこの物語を書きたくないのだ。この恐ろしい事件を文字にして発表するのは、気がすすまないのだ。なぜならば、これはあまりにも陰惨な事件であり、あまりにも呪いと憎しみにみちみちていて、読むひとの心を明るくするところが、微塵もないからである。
(後略)

 もとより、探偵小説なんてぇものは扱っている題材が題材だけに、気分が明るくなるとか、ポジティブになるなんてことはまずあり得ない。ましてや、目頭が熱くなるくらい感動して、「私も・・・」なんて真似をしたら・・・それは犯罪というものである。
 しかるに、この『悪魔が来たりて笛を吹く』。 作者本人も認めているように、内容的にかなり重い。見終ったあとの後味の悪さ、やるせなさは横溝正史シリーズの中でもブッチギリの全開バリバリで『ヤバいっスよ!!!』って、か~んじ~?。
 従って、そういうのが嫌いな人は見ない方が無難かなと。会社のT橋さんとか。


放送
1977年6月25日~7月23日までの全5回

出演
草笛光子
江原真二郎
壇ふみ(連想ゲームレギュラー)
加藤嘉
児島美ゆき(元ハレンチ学園)
三崎千恵子(男はつらいよのおばちゃん)
観世栄夫
沖雅也
長門裕之
森次晃嗣(ウルトラセブン)
中山麻理(元三田村邦彦の女房)



監督
鈴木英夫

音楽
中村八大


昭和22年。東京銀座の宝石店『天銀堂』で店員を毒殺し、宝石を奪い去るという凶悪な事件が起きる。元子爵『椿英輔』はこの事件の容疑者として警察に連行される。疑いが解け、英輔は帰宅するが、娘の美禰子に「このうちには悪魔が住んでいる。そいつが警察に密告をしたのだ。」という謎の言葉を残して失踪・自殺・遺体で発見される。
しかし、その後、自殺したはずの英輔が家族に度々発見されるに及んで椿家の人々は不安と恐怖のどん底に。やがて、その不安は現実のものとなる。
 英輔の妻、『秝子(あきこ)』の伯父、同居をしている『玉虫公丸』が殺される。美禰子からの依頼でこの事件の捜査にあたった金田一は、事件の鍵が椿元子爵の逮捕前の須磨旅行にあると睨み、現地ヘ向かう。現地で有力な手掛りを知っていると思われる関係者の存在を掴み、話を聞きに行くが一足違いで殺されてしまう。その頃、東京でも・・・
あとは自分の目で確認したまえ。

結論。素晴らしい出来。マーベラスである。はっきり言うが、このテレビ版に比べたら映画版はクソである。テレビドラマと映画を比べた場合、デキの点ではどうしても映画の方に軍配が上がることが多い。
それは主として金銭面から来る作品のクオリティの差と、スタッフの気合いの入り具合による“こだわり感”が圧倒的に映画の方にあるからなのであるが、このドラマは一般とは逆で、ドラマのクオリティが映画を軽く越えている。原作にも忠実で、配役も適材適所。

音楽も素晴らしい。前作『三つ首塔』と同じ中村八大氏。まさに完璧!特に『悪魔が来たりて笛を吹く』のメロディは最高!
「ハーモニーを捨て、ひたすらメロディの不気味さ、怨念の旋律のみを追求した。」とは中村氏の弁。納得。
この重たいストーリーを、妖しく、美しく、そして哀愁を込めて盛り上げる。
TKに中村氏の●●●のアカでも煎じて飲ませたいくらいである。


あと、個人的には中山麻理さんの存在が印象的だね。
横溝正史シリーズは我輩が高校の時、地元でひっそりと夜中に再放送していたんだけど、その時に見た中山麻理さんの『大人の女性のお色気』にはドキドキしたものである。あれからもう●●年。あ~ヤダヤダ。年は取りたくないもんだ。

♪あの、素晴らしい『ドキドキ』をもう一度~♪
ってかぁ~?

重たいドラマの割りには極めて軽いシメで、次回はこれも大作『獄門島』に突入するのでアルマジロ。