特濃 オヤジの素

♪飲ませてください もぉ少しィ~♪
本当にコレで最後だぁ~~!

なんか出来の悪い邦画のコピーみたい。
夏休み、貧乏旅行をした時に撮った写真が余ってたんで、在庫一掃処分セールであります。

その1
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関ヶ原の交番。この絵だとわかりにくいかもしれないけど、なんかそれっぽくてなかなか雰囲気があるのだよ。角度を変えて何枚も写真を撮っていた我輩。怪しいヤツだと思われたかも。


その2
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東寺のそばの銭湯。まだ現役みたい。佇まいが実によい。風呂上りに股間をタオルで

“パン・パァ~ン”

とやって、その後はコヒー牛乳を飲む。片手を腰に・・・
そんな光景が目に浮かぶ。粋だね。


その3
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東寺のそばで発見。ご当地仕様のカーネルおじさん。涼しげで粋なイデタチではある。が、いくら涼しげだとは言ってもやっぱり京都の夏は

クソ暑い!

以上。

これでおとぼけ夏旅行の総括は終了である。さて、明日から何をやろうかなぁ~。まぁ、あんまり期待しないで次回も見ていただければ無上の喜びである。なにぶんよしなに。





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というわけで、まだやってたのか!の『おとぼけ夏旅行』どす。いい子だからもうちょっと付き合ってねん。

燃えカスのような状態で彦根からJRに乗って、でまぁ、いろいろとあって結局

『そうだ!京都に行こう!』

と思い至ったのであります。いや、実は最初はその手前の『大津』に泊まろうと思って電車を降りたりもしたんだけど、なんかさ、

駅前がとても寂しくて・・・

(T_T)

 滋賀県の方、大津の方ごめんなさい。京都へは快速に乗れば2駅くらい(たしか)である。どうせ青春18キップなんだからっていうんで再び電車に乗ってアッという間に京都着。そのまま京都泊。

翌日13日、夕方、浜松で正月タイにも一緒に行った小野●さんと飲むことにはなってたんだけど、せっかく京都に来たんだからっていうんで、その前にちょっとだけ観光。
行き先は京都駅に近いってことで東寺、正確には教王護国寺。真言密教の寺で、わかりやすくいうと空海(弘法大師)の寺。“弘法も筆の誤り”の弘法大師さん。

長嶋監督Gクン。
わかるかなぁ~?わっかんないだろうなぁ~、Yeah~!

まっ、詳しくは以下のURLをクリックしたまえ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AF%BA

今まで京都にはたぶん10回以上は来てるんだけど、恥ずかしながら東寺は初めて。しかし、やっぱりたいしたもんだわ東寺。

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凄すぎるぜ、東寺!金堂、講堂、五重塔、大日如来、薬師如来・・・。なんかこういうところへ来ると、とてつもなく心が洗われたような、透き通った気持ちになって、とりあえず仏様に

バカでゴメンね。

と手を合わせしまうのである。

ホントはもっといろいろ見たかったんだけど、暑さがねぇ・・・我輩、まだまだ修行が足らんようじゃて。
さて、昼頃京都を出て、在来線で浜松へ。夕方、小野●氏と合流。

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二軒ほど飲み屋をハシゴして解散。早めに終わったんでそのまま気合いで清水へ向かう。
『やしま2』で一杯やって『むじゃ木』で撃沈。お約束の“下宿”こと『オーシャン』で爆睡(-.-)Zzz。いったい日本列島をまたにかけて、何をやってんだか、オレ。
というわけで、こんなアホな過ごし方で、我輩の短い、しかし貴重な夏休みはほぼ終了してしまったのである。南無・・・・



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 そういってはなんだけど、前回かなり詳しく(?)彦根城の成り立ちについて説明をしたんで、なんかもう今さら書くことなんて無くなってしまったような気もする。よって後はやっつけ仕事にしちゃおうかしらん、なんて思わなくもない。

 12日の昼。関ヶ原の暑さにすっかりやられて、真っ白な灰になりかけた我輩は、それでも勢いだけでなんとかビター・スゥイートな街・彦根の駅に降りたのである。

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観光案内所で地図をもらって一路彦根城へ向かう。駅からの一本道だから迷いようがない。10~15分くらいで到着。
料金を払って敷地内に入るが、いきなり坂。しかもかなりキツイ。忘れていた、彦根城って平山城だった・・・と萎える気持ちに喝!!!を入れ、道なりに登っていくと

出たぁ~!

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天秤櫓

時代劇やなんかで、この絵をどこかで見た御仁もおるやもしれぬ。そのくらい有名な櫓である。元々は豊臣秀吉の居城長浜城の大手門を移築したものらしい。で、橋を渡ってしばらく行くと

出たぁ~、天守閣!

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一説によると天守閣は京極氏の大津城天守を解体・移転したらしいが、現存する天守閣がそれかどうかは

知らないです。

すいません、資料不足につき不明であります。
なんにしても彦根城の天守閣は日本に現存する(江戸時代から)12の天守閣のうちのひとつなのである。
え~っと、我輩いくつ制覇したかのぅ。松本城、姫路城、備中松山城、そしてこの彦根城で4つめかぁ。なんだ案外行ってないのねん。気が付いてハッとしてGood!次はどこに行こうかなぁ。犬山城あたりにしようかな。


おっと、閑話休題。
ちなみに他にも彦根城には佐和山城から移転した多聞櫓なんかもあったりするんだけど、なにも移転をするっていうのは廃物利用だとか、エコロジーだとかを意識してのことではないのね。
旧領主の建物を解体・移築することによって、徳川による新しい統治を周辺にアピールする目的があったらしい。

やるね、家康!

Good Job(o^-’)b

それはともかく、早速天守閣の中に入る。さすがに以前、姫路城を見ているだけに特別な感動というものはない。しいて感想を言うとすると

階段が急である。

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写真を付けるので見て欲しい。上から見るとほとんど直角である。この三層の天守閣、 とてもミニスカートでは登れない。ミニスカートと滑りやすい靴下は厳禁である。
それから、今思い出したんだけど、彦根城の天守閣は映画『戦国自衛隊(古い方ね)』でもロケ地になっていた・・・かもしれない。いい加減で、

メンゴ・メンゴm(__)m

明治維新以降の天災・人災・戦災によって、多くの城や天守閣が破壊された。だから、彦根城に限らず、今、当時の建物が残っているなんてこと自体、相当な『奇跡』なのである。彦根城の場合、明治天皇が保存を要望したってことが効いたみたいね。姫路城みたいな圧倒的な迫力はないけれど、質実剛健で、城下の町並みとの調和も美しい。
そうそう、彦根は城下街らしく、昔ながらの町並みがいたるところに残っていて凄くいい雰囲気だったね。

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あまりに暑くて、体力的にも限界だったからのんびりと見学とはいかなかったけど、また今度近くに行ったらゆっくりと街中を散策してみたいね。やっぱり夏に山登りは辛いワ。というわけで暑さで完全に叩きのめされた我輩は

「どこに泊まろうかなぁ~」

と、とりあえず大阪方面行きのJRに乗ったのである。
毎度のことだけど、成り行きと思いつきだけのホントいい加減な旅行だこと。
というわけで次回に続くのである。

まだやるのか!







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そんで、彦根に向かったっつうわけね。
その前に・・・この前の書き込みで、この辺りは戦国時代、軍事的に非常に重要な場所であったと書いた。今一度、この辺りの地図を付けるのでそちらをご覧いただきたい。

http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F16%2F16.619&lon=136%2F15%2F44.996&layer=1&ac=25202&mode=map&size=s&sc=7

で、そのことを踏まえ、彦根城について詳しく説明をしなきゃって思うんだけど、それについては専門家が書いた適当な文章があるんでそいつをちょいと引用というか、無断で拝借。


彦根は、中山道が美濃から琵琶湖にぶつかる所、そこはまた北国道が日本海方向に別れる地でもあった。近江国の大半を占める日本最大の湖・琵琶湖は東北に位置する彦根・長浜から水路で京の背後の大津まで新鮮な物資を提供する湖沼であり、最大の関門であった。
室町幕府を支えた佐々木六角氏の観音寺城、戦国大名浅井氏三代の小谷城、羽柴秀吉の居城長浜城、豊臣政権を支えた石田三成の居城佐和山城、戦国乱世を統一し、天下に号令する織田信長の本拠安土城、安土城にかわり、中山道・北国道の要になった近江八幡城などが、次々とこの地に築造された。
慶長五年(1600)世にいう関ヶ原合戦は“不破関”である米原から伊吹山南麓で展開した。この関ヶ原合戦で勝利を得た家康は、関ヶ原と湖北・湖東の押さえとして井伊直政に佐和山城を与えて、関東への出口を守備させようとした。
しかし佐和山城は、あまりにも山城で、水陸交通の押さえにならない。そこで、佐和山前方の琵琶湖を埋め立て、磯山までを陸つづきとして、磯山周辺には三重の水路(港)を兼ねた外濠を埋め残した。
(後略)


あ~疲れた(´Д`)

とまぁ、そんなワケっス。ちょっと補足をしようかな。徳川家康は天下普請の第一号として堅固な彦根城を作り、そこに『徳川四天王』の一人、重臣の『井伊直政』を置いた。江戸時代末期、桜田門外の変で暗殺された幕府の大老『井伊直弼』のご先祖様である。井伊氏は元々は遠江の豪族で今川家に属していたのだが・・・って、その話は長くなるのでワープ。
要するに、江戸幕府が西国からの攻撃を受けた場合の防波堤として彦根城を作ったのさ。また逆に言えば、西国の武将に対して喉元に突き付けたドスのような存在でもあったわけだ。
しかしまぁ、この彦根城の成り立ちを考えた時、徳川家康という武人の用意周到さというか、思慮の深さには感服せざるを得ない。

一方、『豊臣秀吉』はというと・・・もちろんとんでもなく凄い人には間違いないんだけど、天下統一を成し遂げた時点で、何かもうそれで満足してしまい、その後、システムとしてどのように日本を治めてゆくのか、この点についてあまり明確なビジョンがなかったんじゃないかと思う。優秀なブレーンや跡継ぎに恵まれなかったってこともあるのかもしれないが・・・結果的にそのことが、死後、関ヶ原の合戦を引き起こし、引いては豊家の崩壊に繋がっていく。
家康はNo.2として身近なところから秀吉の行いを見ているから、彼を反面教師として徳川の天下を磐石なものにすべく、死ぬまでの間に次々といろんなテをうっているワケっスよ。彦根城の築城もそんな彼の深謀遠慮のひとつなのである。

やっぱり長~~~い書き込みになってしまったんだけど、この続きは次回ということにさせていただきとうございます。

以上、彦根城ちょっとイイ(井伊)話でした。

お後がよろしいようで・・・





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 前回、関ヶ原から彦根に向かったって書いた。で、彦根でのことを書こうかと思ったんだけど、結構な長文になりそうなんで(毎度のことか?)、ちょっとインターバルってな感じで番外編っぽく、『旅先で見かけたVOW的なもの その1』と称してして書き込みをしようと思う。

その1
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 彦根の市内で見かけた本屋の看板。彦根は城下町らしい風情があちこちに残っている魅力的な街であった。そこをあてもなくプラプラ歩いていたときに発見。
 子どもの頃、静岡の山間部などに行くと農家の納屋なんかに、錆びかかった『ボンカレー』や『アース』の看板がよく貼ってあったもんだけど、それと同じ匂いがする。たぶんオークションにでも出せば高く売れるんじゃないかな。買ってどうするか・・・そんなことは聞いちゃいけない。そりゃ野暮ってもんだ。

その2
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関ヶ原の資料館にあった絵。言うまでもなく手前が石田三成、向こうが徳川家康。何という画伯が書いた『抽象画』かは不明。しかし、もうちょっと違った絵にしようとは思わなかったのであろうか。はっきり言って怖いです。
ちなみに、二人の目線のあたりに白く点々と移っているのは蛍光灯の光。心霊写真じゃないんで、念のため。

その3
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関ヶ原の駅のすぐそば。JRの線路を跨ぐ陸橋にこんなプレートがついていた。漢字で書くと『関ヶ原古戦橋』か?

駄洒落かよ!

誰がネーミングしたのであろうか。誰か猛烈に反対するヤツはいなかったのだろうか。今時、円楽だってこんなセコイ洒落じゃ笑わない。

すいません、言い過ぎました。

まだこのテの写真が少し残ってるんだけど、それはまたいずれということで、んじゃあ皆さん、チャオ!