
この画像はネットで拾ったものです。
4年ほど前のことです。当時、我々ファミリーが住んでたアパートの裏に緑道がありまして。
最初は「なんでこんな所に緑道が走ってんだろう。」とか思ってたんですね。周囲の状況からすると何だか不自然で、景色にまるで溶け合ってないというのか。
あとで知ったところによると、その昔、ここを路面電車が走っていたとのこと。緑道はその跡地だったと。
その緑道をうちの裏から北に百メートルほどいくとそこには保育園があって道はそこで途絶えます。
当時はここに横砂駅ってのがあって、そこが路面電車の終点だったんですね。写真はそこを写したもののようです。
ちなみにこの駅舎のすぐ裏が、例の
“袴田事件”の現場です。豆知識です、ハイ。
この路面電車はこの横砂駅からJR(当時は国鉄)東海道線とほぼ平行する形で南に向かい、JR清水駅→静鉄新清水と通り、最終的には次郎長通りの手前、港橋の辺りまで走っていたようです。“ようです。”というのは、私の場合、生粋の清水っ子ではありませんから、あくまでも人から聞いたり、ネットで調べた情報を元に書いているからなんです、ハイ。細かな間違いがあっても軽くスルーしていただければ幸いです。
ところで私はこの裏面電車を一度だけ見た記憶があります。私が小学校一年の時のことです。
私達ファミリーはそれまで住んでいた富士宮市を離れ、昭和49年4月から静岡市に住み始めたんですね。で、なんでかは失念しましたが、車に乗って家族で清水に来たわけです。たぶん4月か5月くらいのことだと思われます。車がちょうど清水駅の辺りにさしかかった時、目の前を路面電車がスーっと通り過ぎたんですね。
私はそれまで路面電車なんて見たことがありませんでしたから、「あっ、チンチン電車だ!」なんて喜んでました。
ですから小学校低学年の頃は、清水と言えば「チンチン電車が走ってるトコ。」って思ってました、割とマジで。
ところがその数ヶ月後、昭和49年7月7日の七夕豪雨で、庵原川に架かっていた橋が堕ちてしまい、そのままこの路面電車も廃止になってしまったようです。
線路こそ残ってはいませんが、今でも横砂や袖師辺りに行くと、そこかしこに路面電車が走っていた当時の名残が残っていてます。今まで隠していましたが、私、実は廃線になった線路の跡を、「当時はああだったのかな、こうだったのかな。」とか想像するのが好きな廃線マニア(そんな言葉あるのか?)でもあるんですね。だから、今でもこの裏面電車が走っていた辺りに来るとグッとくるものがあります。あっ、でも鉄ちゃんじゃあありませんし、そっちの方の知識も興味もハッキリ言ってゼロです。
これは天守閣とか櫓がたくさん残っている世界遺産の城より、石垣だけ残っているとか、堀切のあとが微妙にわかる山城とかの方がイメージが膨らんで好きっていうのと同じお話なんですね。
さて、最後になりましたが、ネットであっちこっちから写真をお借りしましたが、持ち主の方、勝手に使ってスイマセン。この場を借りてお詫び申し上げます。許してチョンマゲ。
どこだろう・・・新清水のあたりかしら
港橋?
ここはわかる。清水橋のとこですね。
